子どもみたいに

 

私、どうでもいい人間なんかじゃない

 

私がどんな夜を過ごしてどんな朝を迎えたか、言わなくっても分かっていて欲しい

 

薄っぺらいあの子達とは違って感情に血が通っていること、闇に犯される日もあること、守り続けたい人がいること、知っていて欲しい

 

私には私の価値は分からない

みんなと一緒にしないでという子どもじみたプライドだけが私を纏っている

 

それでも、見出して欲しい、私だけを

 

子どもみたいね

 

 

 

 

 

 

 

夏は一体いつ終わったんだろう。

 

何度過ごしても、いつも曖昧なままに、記憶されずに、いつの間にか夏は終わっている。

 

あんなに愛おしかった季節も、次の季節の空気にすっかり溶け込めば、瞬く間に忘れることができる。思い出すのなんて、最初のうちだけだと知っているのに。何度繰り返しただろう。

 

一年の中で一番、九月が切ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手紙が届くのを、もう何日も待っている。出されてもいないであろう手紙を。プレゼントが届くのを待っている。包装もされていないであろうプレゼントを。中身のない自分のことを、掘り起こしていけばきっと凄いんだと信じていて、だから私のことを素敵だと言ってくれる誰かを此処でずっと待っている。現れもしないであろう誰かを。

 

期待はずっと棄てられずにぐしゃぐしゃに握り締めたままになって、もし今その拳を開けてみたらとっくに指の間を零れ落ちて何にもないのかもしれない。それでもずっと、大切に握り締めている。

 

キラキラした世界には憧れるのに、誰かに見て欲しいわけでも対抗したいわけでもない。

偽物だって本物だと信じているけれど、本物だけをずっと探している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の終わり

 
 
真夏のピークが去ったねってあの子がわざとらしく言って二人で笑った。
 
夏ももう終わりだねって言われると、なんとも言えない切なさに襲われる。
 
ボロいドアを開けると、つい一昨日までの夏の陽射しを忘れたかのような、生ぬるい風が肌に纏わりついたけれど、上着を取りに戻らないまま出かけた。
 
 
”夏よまだ終わらないで”
 
 
今年の夏の始まりは悲しくて
今年の夏の終わりはやっぱり切ない。
 
誰も私の内側に気付きやしないし
誰も私の心を愛さない
 
今年の夏の終わりは、やっぱり切ない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

葉月


季節は夏。

あの子へ書いている手紙は、途中のままになっている。続きを書けないまま、気付けば夏のど真ん中へ放り出されてしまった。

最近は、あまり料理をする気になれない。一汁三菜を心掛けたいけれど、今は到底そんな気分になんてなれないわ、という具合。

楽しいことを見つけたいけれど、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。

私はとてもとても魅力がなくて、それはそれは価値の無い人間だこと。そんな思考に支配されていた。それでもなけなしの強がりで、首を横に振って、私が今まで好きになった人の本当の魅力に、私は1ヶ月や其処らで気付けたことなんてない。色んな話をして、色んな場面を一緒に過ごして、そうやって同じ時間を共有して初めて、本当の魅力に気付いていった。だから私が魅力のない人間なんかじゃなくって、こんな短期間では私の魅力は伝わらないし、私の魅力を見抜けるほどの器じゃなかった、ただそれだけだと言い聞かせた。だけど、魅力も価値も本当は無いんじゃないかって、自分に見つかってしまいそうで怖い。だから、気付かないフリを続ける。私を大切にできるのは、私だけだから。


私は、誰かを愛すことのできる状態がまだ整っていなかったんだと、今思う。それ自体がもう、縁が無かったの一言で済ませて仕舞えるんだよ。


美しい旅をしよう








私の心を、自分の中に存在させてくれるような人と、一緒にいたいよ。
心が、何度も悲鳴を上げて、もう疲れた。

私は美しいものだけを見ていたい。
美しい音楽を聴いて、美しい感情を抱く。
美しい心の人と手を繋いで、美しい夢を見る。
美しいものだけを感じていたい。
美しいことだけを知りたい。
美しい日々を過ごしたい。