ニーナの為に
待ち合わせ場所で彼女は花束を抱えて立っていた。誕生日でも、何でもない日だった。春が過ぎたくらいから始めた文通の返事が来ないなと思っていたが、何度も書いてはゴミ箱へ、書いてはゴミ箱へを繰り返しているうちに冬になったと、申し訳なさそうに、恥ずかしそうに、手渡してくれた。
彼女が選んだくれたお店で、二人共エビとアボカドのナンを食べた。住みたいねと二人して言うほどに素敵な店内で、こだわりの強そうなマスターの趣味なのか沢山のギターとギターケースが壁に立て掛けらていたり、古い黒電話があった。その古い黒電話が鳴って使えることが判明した時は、お喋りしてたのに思わず中断してしまうほど二人で驚いたなぁ。。最近好きな音楽の話、前に薦め合った本や曲の感想、大学生活、卒業論文やクリスマスのことなんかで話に花が咲いた。
気付けば3時前になっていて、私と彼女はその店を後にした。1年前に散歩した公園を散歩しようと張り切っていたのに、外のあまりの寒さに、二人とも思いの外散歩を楽しめなくて笑った。途中にいた全然懐かない猫ちゃんがとても可愛いかったなぁ。彼女は、猫にお尻を見せると信頼が築ける!と言い張りしばらくお尻を向けていたが全然駄目だった。私は後ろで声を出して笑っていた。
暖を取ろうと百貨店に入った。普段一人では回らないフロアも二人で一々騒いでいた。本屋で、彼女に薦められたインゲボルク・バッハマンの三十歳という本を買った。
百貨店を出て、近くの純喫茶へと向かった。ずっと気になっていた喫茶店で、店内は最後の晩餐のようなテーブルと椅子で二人ではしゃいで、隅に並んで座った。ここでもまた、二人共同じものを頼んだ。キューバコーヒーという名前のカルーアリキュールとコーヒーと生クリームが入ったものだ。カルーアの程良い甘さに、幸せな溜息が零れた。
お化粧に最近興味を持ち始めたらしい彼女にドラッグストアで少しだけお化粧を施すと大袈裟なくらいに彼女は喜んでいた。
帰り際、彼女は何度も振り返って手を振った。すっかり暗くなった道を、私はバスに乗って帰った。家まで待ちきれずにバスの中で彼女のくれた手紙を読んだ。手紙を読みながら、鼻の奥がツンとするほど熱くなるのが分かった。ここからは、その時の感情を正確に言葉で表すことが出来ないと思う。
カラの花の柄の浴衣を選んだことも、大切な友人から手紙が届いたことも、その子の名前も、手紙を書くために選んだ便箋のことも、最近好きになった曲も、全部あの人に話したいと思っていた私は、当時のその心達を何処へ仕舞えばいいのかわからなかった。私はもがき続ける子どもの様で、本当に恥ずかしい。誰かの言葉に気付くことがあったり、誰かの言葉を自分に言い聞かすことはできても、内側に触れることは誰にもできなかった。彼女の言葉だけがそれを可能にして、私は救われた。大それた人間じゃない。価値など分からない。それでも、私を見つけてくれてありがとう、内側を愛してくれてありがとうと、涙が零れた。
私たち二人は、はたから見ればとてもとても気持ちの悪いことをしているかもしれない。けれど、私 と あなたはそれだけで息を繋いでいるようなものなのだ。
《君はとても可愛い人で 何故か俺は泣きそうになる》
ニーナの為に/ART-SCHOOL
クラゲ
ドライフラワーを部屋に飾りたい
お風呂に入ってから潜った布団にまだ、煙草の匂いが染み付いている
いなくなったミュージシャン
薔薇は棘があるから好きだったのにな
自分でいいなって全然思ってないものを不意にいいねって言ってもらえると、なんだか救われる様
クラゲ/ミツメ
《君のこと 飽きるほど 溶け合いたい クラゲみたいにさ》
夏の記憶が耳に溶け出して
流れ込んでゆく
”どうしようもない気持ちになったことがある?”
私はyesと答えるけれど、あの子がyesと答えても信じる気なんかないからね。
夜が深まってきた頃に頭の先まですっぽり布団を被ってイヤホンで耳に蓋をすると、簡単宇宙の出来上がり
身体だけがぽっかり浮かぶ
内側に触れて、どうしようもない気持ちになったことのある人しか辿り着けない宇宙
誰にも教えてあげない秘密基地
あの時ああしていれば、こうしていればって、
自惚れてるから言えるんだよ
綺麗な歯並びや 髪を撫でた掌 高くない背
真夜中の大学でおどかされた悪戯な帰り道
部屋に入るまでを見届けてくれた瞳
かわいい笑顔や 空気を撫でただけの言葉を
思い出す
あなただけで涙足りないな
あなたにとって私がどうでもいい存在になった時から、私はあなたを愛していたんだと思います。
■
あなたには届かない。
あなたには敵わないけど、あなたでは叶わない。あなた無しでも生きてゆかれるけど、あなたじゃないと意味が無い。
子どもみたいに
私、どうでもいい人間なんかじゃない
私がどんな夜を過ごしてどんな朝を迎えたか、言わなくっても分かっていて欲しい
薄っぺらいあの子達とは違って感情に血が通っていること、闇に犯される日もあること、守り続けたい人がいること、知っていて欲しい
私には私の価値は分からない
みんなと一緒にしないでという子どもじみたプライドだけが私を纏っている
それでも、見出して欲しい、私だけを
子どもみたいね
正直
好きなものだけを好きだと言いたい
どうでもいいあの子達には手を振ることもしたくない
毎日クリームが溢れるほど入ったクレープを食べたいし
どうでもいい人達とするどうでもいい話は心底どうでもいい
■
夏は一体いつ終わったんだろう。
何度過ごしても、いつも曖昧なままに、記憶されずに、いつの間にか夏は終わっている。
あんなに愛おしかった季節も、次の季節の空気にすっかり溶け込めば、瞬く間に忘れることができる。思い出すのなんて、最初のうちだけだと知っているのに。何度繰り返しただろう。
一年の中で一番、九月が切ない。
■
手紙が届くのを、もう何日も待っている。出されてもいないであろう手紙を。プレゼントが届くのを待っている。包装もされていないであろうプレゼントを。中身のない自分のことを、掘り起こしていけばきっと凄いんだと信じていて、だから私のことを素敵だと言ってくれる誰かを此処でずっと待っている。現れもしないであろう誰かを。
期待はずっと棄てられずにぐしゃぐしゃに握り締めたままになって、もし今その拳を開けてみたらとっくに指の間を零れ落ちて何にもないのかもしれない。それでもずっと、大切に握り締めている。
キラキラした世界には憧れるのに、誰かに見て欲しいわけでも対抗したいわけでもない。
偽物だって本物だと信じているけれど、本物だけをずっと探している。